岩手県大槌町に来ています。
お久しぶりです。
2011年3月に起きた東日本大震災で大きな被害を受けた町です。
大槌町の犠牲者率は10.7%。
100人中11人が死者行方不明者となってしまったということになります。
町の7割が流されました。
この町に来て、二週間が経ちました。感じることは色々あります。
言葉にするのは、すご―く難しいです。
被災地で生活してみて思うこと、教育現場で働いてみて感じること、地方の現状、一NPO組織の内情、、
何回かに分けて、投稿しようと思っています。
今回は、被災地に来て、思うこと。
被災地で生活してみて、ふとしたことにも敏感に反応してしまいます。
考えることは山ほどあるのですが、口に出して言うのには、勇気が要ります。
それは、私が所詮、震災を経験していないよそ者でしかなく、
不注意な発言で被災した方々を傷つけてしまうかもしれないから。
でも、よそ者であることを十分に自覚したうえで、伝えたい思いもあります。
よそ者なりに、ここで思ったことを伝えていきます。
大槌の町を見て思うことは、
「なんもない。」
の一言に尽きます。
それは、良くも悪くもそうで、今は何も残っていないこの町を見て、
抱く感情は人によって本当に様々なんだと思います。
晴れた日の大槌町の夜空には満天の星が見えます。本当にきれいです。
それも、この町に「なんもない」から。
なんだか、「きれい」って言葉を発するのもためらってしまう自分がいるし、
意識し過ぎなのかもって思う自分もいます。
東北のお土産を、みんなに買って帰ろうと思ったけれど、
そんなお土産屋さんはどこにもありません。
駅すらない、電車すら通ってない町です。
(Googleマップには載ってるのですが、復興していないのです。)
週末には映画を見たいなあなんて言ったら、バスで隣の隣の町の駅へ行ってから、
鈍行電車で3時間かけて盛岡に行けばあるよって言われました。
そんな大槌町ですが、、
震災後の5年6か月で、人々の心は色んな方向に変わっていったのだなって思います。
テレビやSNSでは、
「被災地復興、一丸となって頑張ろう!」
って言っているけれど、
一丸となって頑張るのって、実はすごくすごく難しいことなのかもしれない。
周りが思っているほど、事情は単純じゃなくて、全てが複雑に絡み合っていて、
一人ひとりが深い悲しみを乗り越えて、前を向いて歩こうとしている、
だけど、向かいたい方向は一人ひとり、ばらばらかもしれない。
その一人ひとりが目指している場所への道のりは、それぞれすごく険しいものなのかもしれない。
そんな状況をちょっと知ったよそ者の私は、「難しい問題ですね...」と言って逃げられるんです。
どうしようもない状況の中で、複雑で難しい問題にぶつかってもがいている人たちは、
「難しいから」って逃げるわけにもいかず、無念の中で、結局諦めるしか道はないのかもしれない。
私が被災地に来たいと思ったのは、現実から目を背けたくなかったから。
けれど、現実を知った今、苦しんでいる人がそこにいるのに見捨ててしまうくらいなら、
知らない方がましだったんじゃないかって、思ってしまいます。
「結局、当事者じゃないから逃げられるんでしょう?」
こんなこと誰も言わないし、
大槌町のみなさんは、「遠くからわざわざ来てくれて、ありがとう」って言ってくれます。
「来てくれるだけでも嬉しい」
そう言ってくださいます。
そんな言葉をかけてくださる、この町の方たちの優しさに感謝しています。
最近は、すごく複雑な気持ちでいます。
人は、結局自分本位でしか動けないんだなって思います。
それでも、この町に来て、大槌町の方たちと出会って仲良くなって、
確実に気持ちの変化はありました。
私にできることがあるなら、ほんの少しだけど、力になろうって思います。
ここに来るまでは、私は大槌町とは無縁の場所で生きてきたし、
震災後の報道にショックを受けながらも、本気で力になりたいとは思えていなかったと思います。
誰かの力になりたい、って、私の場合、漠然と何かに思うものじゃなくて、
人と人の生の交流の中で生まれるものだと思いました。
手を差し伸べたい、助けてあげたい、そう思えるのは、
助けを求めている誰かの顔が頭に思い浮かんだ時。
今更ながら、人と人の輪って大切だと思いました。
まだこっちに来て2週間。
毎日の出会いを大切に。。
最後に大槌町の写真をいくつか載せます。
↓仮設校舎(小中学校)
↓旧庁舎(被災した状態のまま残されています。)